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たゆたうなる写真
終わりの始まり -Vol.1-
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EOS 60D


父が亡くなりました。
父からの最後の連絡は今年の1月3日それからまったく電話もなく
12月ごろに私から2回ほど連絡したけど、電話には出ず・・・折り返しの電話なんか来るわけも無く。
着信があってすぐ折り返しても電話なんかでやしない。まぁ、いつものことなのですがね。



覚書になります。
興味のある方だけお読みください。
尚、気分を害される方も居ると思います。覚悟してお読みください。あしからず・・・






2月か3月だったか、妹と電話で母親のお墓の移転の話をしてました。


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EOS 60D



東北の震災の関連で、母のお墓がある墓地が災害指定されまして、お墓を移転しなくてはいけないという状況がだいぶ前からありました。
しかし、私達子供で勝手に決めるわけにも行かず・・・
でも、父親に和尚さんやら世話役の人が話をしても、まったく話にならず・・・
まぁ、私達が父に電話で話をしたところで「わかった」といい返事だけして何もせず。
「これは、私が直接行って話しをしないと駄目なのか・・・(メンドクセー」という話をしておりました。
行くなら4月。
丁度、4月は仕事が空く月なので1ヶ月は暇。
暇だから群馬に行くか?んな余裕はないなぁ(金銭的に)。
でも、仕事休んでまで行くのはなぁ。なら、やっぱり4月がいいか(´・ω・`?

などなど、考えていたのですが、結局4月は行かないという結果に3月末ごろには決めていたのです。

だから4月は、写真を撮りまくる予定でした。




しかし・・・

4月6日(金)
妹から電話が来る。
妹「今、太田の伯父さんから電話があって、お父さんがやばいらしい。入院してるらしんだけど、先生もここ数日だろうって言ってるらしいよ」
私「まじで?ホントに死にそうなん?(←信じてない)意識とかないん?」
妹「話はしっかりできるらしいし、伯父さんはまだ1週間2週間平気じゃないかって言ってるんだけど・・・」
私「うーん。ってか、入院してたんだ・・・」
妹「みたいだねぇ」

 妹も私も入院してたことを知らず。連絡もこず。
私「行くって言ってもなぁ。月曜日にハロワに行って失業手当の手続きしてからだなぁ。だから早くても、月曜日の夕方でるか。火曜日だなぁ」
妹「私も、月曜日は学校の入学式なんだよね。顔を見てくるくらいなら明日、夕方行けるかなぁ・・・」
私・妹「・・・ほんとにヤバイの?」
私「そう、簡単にシなないべ・・・お母さんだって、危ないって言われて長かったし・・・」
妹「だよねぇ。まだ、元気に話せるって言うしなぁ」


結局、火曜日にこっちを出ることに決定。よくよくならば、月曜日朝一でハロワ行ってその足で群馬に飛ぶ・・・
そんな予定で居たのです。

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EOS 60D


が・・・次の日夕方頃にまた妹から電話
妹「なんか、伯父さんが危ないぽいって電話よこしてしつこいから、ちょっと病院行ってくるわ」
私「えー。まじかぁ。じゃぁ、生命保険とか入ってるのかとかお金の事とか、話さないかもだけど聞くだけ聞き出しといてね」
妹「わかった。がんばる・・・」


と、電話を切って
1時間もしないうちにまた妹からの電話

妹「シンんだ。来て!」←まじ第一声これ。
私「ぇ?えっ??」
妹「シンだよ。」
私「えぇぇぇっぇ。まじで?ほんとに?まじで?」
妹「うん。私が着いてすぐみたい・・・」
私「ぇ・・じゃぁ。死に目に会えたの?」
妹「会えなかった。エレベーター降りたら、心電図の音が鳴ってて、看護婦さんがばたばたしてて・・・」
私「えぇぇぇぇ。まじかよ。早すぎだろ。ぇぇぇぇ」


言葉になりませんでした。
ってか、ここに書けないほどボロクソ言ってました(;´Д`)
だって・・・なにも聞き出せてない状態で死んだので(´・ω・`)
父親が亡くなったことのショックよりも、これからどーすんのよ!状態でのショック。

いやぁ。
早くシ○よとか思ってたけど、色々聞く前に・・・早すぎだろよ!!

もう、そこからバタバタ。
一応、もう群馬に飛ぶつもりで荷物をまとめ始め・・・

えぇぇ。失業手当の手続きできないじゃーーーn(ヽ(`Д´#)ノ

葬儀屋さんを検索はしていたけど、こんなに早く亡くなるとは思ってもみなかった。
ぽっくり逝きやがって(暴言

いや。変に長く入院されてても困るんだけども・・・


どうも、病院の都合で20時40分には湯かん済ませて出て欲しいらしく、せかされてるとの電話。
葬儀屋も決まってないのに、あと1時間ちょいで病院をだすとか・・・\(^o^)/
父親のお兄さん(伯父さん)やら、父方の親戚が数人来てるらしいが、妹にどうするどうするでプチパニックに陥ってるらしく・・・

歯がゆい・・・

私に出来ることは、葬儀屋に電話して値段とか聞くことくらい(´・ω・`)
一応、喪主なんだけど・・・


父が亡くなる前に伯父さんに電話して亡くなった時は、密葬でするつもりというのを伝えて、了承してくれてたはずなのに
実際になったら密葬はちょっと・・・と伯父さんが言い出してるらしく、それを聞いた私はぶちきれ。

だれが、葬式代を出すと思ってるんだよヽ(`Д´#)ノ
おじさんがちょっと出してくれるならまだしも、そうじゃないだろう?
葬式のほかにこれから色々かかるんだよヾ(。`Д´。)ノ彡☆ブーブーッ!!

妹にも妹の旦那にも「伯父さんが納得しないなら、私が直接話すから!だから、密葬の方向でいいから!」と伝え。

病院から言われた時間ぎりぎりに、出れたらしい。
結局、伯父さんは湯かんのときもなにも手をださなかったらしい。ただ、見てるだけだったとか・・・


父はというと、直葬(密葬)というプランでしてもらうことになったので
病院

火葬場の霊安室
という、本当に直葬になった。

私が電話して聞いたK葬儀屋さんは、
病院

葬儀屋さんの一室を借りる

火葬
だったので、火葬場が空いてなければ部屋代がかかるというものだった。
まぁ、その間亡くなった本人は誰かと一緒にいることになるのだけども、父は火葬場直葬だったので霊安室で独り・・・
火葬されるまで独り霊安室(´・ω・`)

流石にこれは心が痛んだ。
でも、どのくらいお金を残してるかもわからないし、葬式の話とかもしてた訳じゃないからどうにもできず。

父親の交友関係とかまったく分らない。
それどころか、会社を数ヶ月では辞めての繰り返しだったので会社関係とかわからない。
ここ数年は年金暮らしの、介護保険を使って障害者にもなってたみたいだけど・・・

私といえば、妹からも「もう、火葬場に行っちゃったし、来てもすぐ会えるわけじゃないから明日でてくるでいいよ」との連絡。
次の日は実は、ツレの実家にお花見をしようとお呼ばれをしていたのです。
月末には、毎年呼ばれるお祭りもあるので、挨拶がてら行って父が亡くなった事を伝える。

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EOS 60D


8日(日)
ツレの実家に挨拶にいって、午後群馬へ・・・
妹の話によると、昼間実家に行ったら凄いことになっていたらしく…叔母さん(母方の弟の嫁さん)が片づけを始めたらしい。(ちなみに実家で葬儀系はしないしお客は来ない)
群馬に着いたのは19時過ぎ。
そのまま、おばあちゃんち(母の実家)に挨拶。

夕飯は近くの龍正(ラーメン)へ。
閉店ぎりぎりに滑り込む・・・

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やっぱり、群馬に帰ってきたら手打ちラーメン食べないと!
私の大好きな塩ラーメン。

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今思えば、父が好きだった醤油ラーメンにしておけばよかったかな(´・ω・`)



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EOS 60D


9日(月)
お坊さんの都合で拝みが12日以降じゃないと都合が悪いらしく、かなり先になるので先に火葬をすることに。
火葬前に早めにいって、父の顔を見る。
ひげ面だったり髪の毛が酷いこと(仙人みたいに)になってるかと思ってたら、綺麗にしてた。

その顔をみて、「あぁ。シヌ覚悟してたんだなぁ」と思った。
流石に憎たらしい父親でも、霊安室で一人は寂しかったろうなぁ。可愛そうなことしたな・・・とは思ったけど、通常のお葬式なんてしてあげられない。

まぁ、孤独死して発見が遅れて・・・なんてより、病院でシネタだけ良かったとは思うけど。
妹の話では、書類関係とか全部自分が座ってた机に綺麗に揃えてあったとか。
私が帰ったり、電話のたびに「白レンズ頂戴~」って言ってたのも、「シンだらやるから持って行け」と言ってた通り、分るところにおいてあったらしい。

結局、火葬は私、妹・妹の旦那、伯父さん(父のお兄さん)と奥さんだけだった。
一応、父方の親戚には伯父さんから連絡はしてもらってたけど…まぁ、平日だし、密葬だから仕方ないけど流石に来ないかぁとちょっと凹み。
まぁ、お付き合いはほとんどないしね。
私は連絡先の番号とか知らないし。

おばあちゃん(母方)は一度も顔を見に来なかったな。
仕方ないよね。とても、嫌ってたし。

妹達は午後から、下の子の入学式があるので火葬が終了するちょっと前に帰った。

骨壷に入れるのは、私と伯父さんと奥さんの3人。
そのまま、骨壷は伯父さんに抱えてもらいお寺さんで預かってもらう。
お寺さんに向かうときに、伯父さんが気を利かせて家の裏をゆっくり通ってくれた。
本当だったら、病院から家に戻ってそこからだもんね。


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お寺さんに御骨を預けて、ちょっとおじさんたちと立ち話してたら大事件が発生!!!




なんと・・・・

今時の車にあるまじきかな(´・ω・`)






インキー したのでござる。
伯父さんの車・・・

伯母さん「あれ・・車開かないんだけど・・・」
伯父さん「なにやってんだよ。鍵は?!」
伯母さん「バッグの中・・・」
 と良いながら車の中を指を差す
 車の中を覗くと、助手席の後ろの席。ドア側にバッグが見える。
経緯は・・・こんな感じ。

お寺に到着
 ↓
伯父さんが骨壷を持っていたので、私が受け取る。
伯母さんは自分のバッグを持ってお寺へ。そのときは鍵を閉める。
 ↓
お寺に父を預け、車に戻る。
私の書類を伯母さんの車に預けて置いたので、伯母さんはバッグを置いて書類を持ち私に書類を渡す。
 ↓
ドアを閉める。(ただ、閉めただけ)
 ↓
しばらく、外で話す。30分ほどかな。
 ↓
帰ろうとしたら、ドアが開かない\(^o^)/ ←今ココ


話を聞くと、車はオートロック機能がついてるらしく、しばらくすると自動ロックするとか・・・
ちなみに、ニッ○ン○コ。
走り出したら、ロックするのは聞いた事があったけど、走ってなくても暫くしたらオートロックするとかスゲー。
ただ、キーが車の中にあるんだからオートロックはしないはずなのに・・・

3人して「なんでロックした????」状態。
しかし、考えてても仕方がない。
伯父さん達は地元の人じゃないから、車屋さんとか知らない状態だし。
私が出来ることは、JAFに入ってるからJAF呼んでロックを解除してもらうか・・・
一応、妹達の知り合いの車屋さんがあるから、そこに連絡することもできるけど私から連絡するより、妹の旦那(義理弟)から連絡してもらうほうがいいんだけど・・・

伯父さんの希望で、とりあえず義理弟の知り合いの車屋に聞いてもらって、駄目だったらJAFでっていうことに。

義理弟に連絡して、車屋に連絡してもらい、どうにかロック解除してもらうことになった。
30分ほど待って、車屋さんが来て、試行錯誤してロック解除してもらった。
ロックの解除も昔のようにやらず、だいぶ古典的というか・・・アナログな感じだった。

どうやら、バッグが後ろの端っこ過ぎたかキーがあるという認識外に出てしまったので、オートロック機能が働いたのだろうという見解。
インテリジェントキーになってから、インキーは少なくなったらしいけど、たまーーにあるらしい。
そして、料金は義理弟価格の3,000円だった。
ちなみに、JAFだと15,000円程かかる

インキー騒ぎでお昼ご飯もだいぶ遅くなった…(´・ω・`)
車屋さんが来るまでに、伯父さんたちと昔話やらなんやら色々話をして、ラーメン屋の話をしたので伯父さんがラーメンを食べたくなってしまって
一緒に龍正に行くことに・・・
喪服のままなんだけどなぁ(´・ω・`)
ってか、二日連続で龍正とか・・・マジかぁ。

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塩チャーシューラーメン。
まぁ、食べちゃうんだけどね!
伯父さんにおごってもらっちゃった(*´ω`*)
こんなことも無いと、伯父さんとご飯食べるとかないからなぁ。最初で最後かな。


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EOS 60D



明日から、書類やらなんやら捜さないと・・・
群馬に居るうちに、やらなきゃいけないことが沢山ある・・・( ̄- ̄)









by snow_air | 2018-05-20 19:20 | Murmure | Trackback | Comments(0)  
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北関東から関西→北陸へ移住   どこに居てもカメラ日和してます。
by snow



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