たゆたうなる写真 | |||||
12年・・・長いなぁ。 今年は13回忌でした。 まぁ、私は地元には居ないので法事には出られなかったんだけど・・・ 家にある紙位牌に手を合わせました。 ホント、毎年毎年「母が居てくれたら・・・」と思う事は尽きないものです。 思っても仕方ないんだけどね。でも、思ってしまうのです・・・w 思い出話・・・ 忘れないうちに書き止めておきます。忘れないだろうけどw 読みたい人はどうぞw この時期になると、母とのやり取りを思いだします。 母がまだちゃんと意識があるときに 「幸せだった?」って聞いた事があるのです。(この聞いたって言うのをおばあちゃんに話したら怒られたけどww) どんな話の流れでそんな事を聞いたのかはもう忘れちゃったけど、ずっと病院にいて 痛みを抑えるためにモルヒネを打つようになって居た時です。 母は 「んー。パパが最後の最後で優しくしてくれてるから、今は幸せかな」 と、言ったのです。 きっとあのときの母は幸せだったのかもしれません。 まだ、足がまだ動いているときに、命からがら実家に走って逃げ そこから、家には帰らず実家の居候になって、父とは距離を置いたのです。 それでも、結局は病院にずっと入院をすることになって、毎日父は病院に足を運ぶようになりました。 看病という口実で毎日母に会いに行っていました。 父の愛情表現は、暴力で・・・それは寂しさとかからなのかもしれないけど・・・ 私だってちゃんと、父が母の事を愛しているのは分かってましたよ?w でも、表し方がへたくそすぎて・・・w そんなのが、最後の最後の方でちゃんとした形で母に伝わっていたのです。 だから、母はあのときが一番幸せだったのかもしれないのです。 私と母は、親子というより親友というか同士というか、そんな感じだったので 結構なんでも話せる母子でした。 なので、そんな事を聞いたり 「死んだときに私がここに居なかったら、おばちゃん時みたいに何かで教えてね」って頼んでました。 おばちゃん時みたいに~というのは、親戚のおばさんが亡くなって四十九日の時に母のところと私のところに夜中にお礼に来てくれたのです。 それは、匂いでわかって・・・(夜中なのに突然シップの匂いがしたのですよw) なので、そんなことを母に頼んだのです(おばあちゃんにその事を話したらやっぱり怒られたw) 母はちゃんと匂いで教えてくれましたよ。 ただ、気づけなかった・・・キノセイ で私は流してしまったのです。 その時に、妹に「なんか匂いしなかった?」って聞いてたのに・・・ 今でも、最後に私と妹をじーっと見ていた母の顔が忘れられません。 もう、私のことも分からなくなって、声を掛けても返答しない状態だったのに 帰り際に帰る私たちをじっーと見てた。 「龍青のラーメン食べようか」そんな話をしていたので、じーっとこっちを見てる母をみて 「きっと(母も)食べたいんだね」って話して。 あの時の匂いは母でした。本屋であんな匂いがするはずないもの。 その後、暫くして病院からの呼び出しでした。 最後の最後で「幸せ」を感じられたのは良かったのかもしれないです。 反対にこうまでならないと「幸せ」が実感できなかったというのは、あれだけれどもw 13回忌だったので、ちょこっと思いでを書いてみました・・・w
by snow_air
| 2014-02-13 21:37
| Murmure
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